渥美半島一周サイクリング!

 先日、似非クロスバイクを新調いたしましたので、腕もとい脚試しに渥美半島をぐるりと回って参りました!車体が軽くなってスイスイ〜



※上記のルートは田原市内に入ってからの分のみ




 ほぼ日の出とともに起床し、ウィダーインゼリー的な何かを腹にねじこみ、入念に準備体操をして家を出た。まだ交通量の少ない県道をひたすら南へ進み、三河港大橋を渡って、いざ決戦の地・田原市へ。この時点ではやる気120%!山をも引っこ抜く気迫をもってペダルを漕いでいた(誇張)。


 野を越え街を抜け、スタート地点に定めた三河田原駅に着いた。三河田原駅は今でこそ豊橋鉄道渥美線の終着駅になっていますが、大昔は西方にもうちっとだけ続くんじゃよだったらしい。先っぽの方まで電車が走っている知多半島に比べるとちょっと不便(無論車社会)。


 駅を出て、まちのシンボル蔵王山(標高:250m)と鉱山開発によりだいぶえぐられてしまっている衣笠山(標高:278m)の間の坂をスイーっと下ると三河湾に接する海岸線(裏浜)に出た。その先には白谷海浜公園&海水浴場があったが、まだ朝早いので誰も泳いでいなかった。


 そのあとはのらりくらりと裏浜沿いを進み、仁崎海水浴場、宇津江海水浴場などを通り過ぎたが、どちらも人っ子ひとりいなかった。その先、田原街道に入ってからは少し内陸となったため、前方に見える渥美火力発電所の紅白の煙突を目印にした。
 道中、左手方向を見ると、小高い山々の裾にポツポツと風車が建てられているのが目に入った。しかし、当日はカームベルトのような無風状態だったのでプロペラは微動だにしていなかった。
「電力需要の高い夏に限って風が弱いから風力発電も考えものだなぁ」
などと日本の電力事情を憂いていたら、うっかり右折ポイントを過ぎてしまっていた。そのまま真っ直ぐ行けば半島先端の伊良湖岬ヘは直行できるものの、それでは半島を一周したことにはならない気がするので、強引に進路変更して再び裏浜方面に向かった。
 途中、やや迷って右往左往したが、なんとか福江漁港という所まで北上できた。


田戸たど神社

  • 祭神:面足おもだる
  • 創建:?
  • 備考:通称「いぼ神様」

 福江漁港の近くにある神社。神社内に敷き詰められた丸い石で「いぼ」取りを祈願し、持ち帰って擦ると「いぼ」が取れるといわれているそうで、「いぼ神様」の名で地元では慕われているらしい。名前はタドだが三重の多度大社とは多分関係ない。
 神代七代の一柱であるオモダルノミコトを祀っている神社はここらでは珍しい。面足命は7代中6代目の神で、アヤカシコネノミコトと対になる神。神仏習合時代では第六天魔王他化自在天)の垂迹とされていたため、当社もかつては第六天魔王を祀っていたのかもしれない。
 境内は深い森に覆われていて、木のトンネルのような参道は稲荷社みたく鳥居が何重にも連なっていた。戦前は境内のすぐ隣に「陸軍技術研究所伊良湖試験場」があったらしく、参道の入り口にはその名残りの門柱が残されていた。

 また、神社の少し西の田んぼの中にひときわ目を引く謎の廃墟があったが、これも試験場の建物であったようだ。ちなみに、大砲の実射試験が行われていたとのこと。




〜〜〜
 廃墟を過ぎ、渥美火力発電所の真横の道をするりと抜けると西ノ浜という海岸に出た。海岸線には右を見ても左を見ても太公望の皆さんがわんさかいた。海の向こうには県内では数少ない有人島佐久島篠島日間賀島)や、その奥に知多半島、更に遠くには志摩半島が覗いていた。


 ひとまず、火力発電所脇の森の木陰で一休みした。行きは無風状態であったこともあり思ったほど疲れはなく、
うおォン、俺はまるで人間火力発電所だ」
と、どこぞのグルメ家のようなことを心の中で呟いて鼓舞した。


 火力発電所沿岸は通行禁止だったので少し迂回してから風車が立ち並ぶ西ノ浜に戻ってきた。ここから怖いぐらい真っ直ぐと続く一本道を南に進んでいくと、今回の中継地点である伊良湖いらごに到着した。


 伊良湖港に隣接している道の駅「伊良湖クリスタルポルト」で一時休憩。この道の駅は一階がフェリー乗り場になっている特殊構造だった。朝にウィダーインゼリー的な物を食してから何も食べてなかったので、道の駅の食堂で名物だというしらす丼を平らげた。


 長くクーラーに浸かっていると灼熱の外気に触れるのがつらくなるので食事をとって回復したのち、そそくさと自転車を押しながら岬観光に出掛けた。
 伊良湖海水浴場にはビーチで遊ぶ人やサーファーがいっぱいいた。太平洋側の遠州灘表浜)は基本的に遊泳禁止のため、ギリギリ湾内のここが波乗りのベストスポットなのかもしれない(合法的な)。
 伊良湖岬の先端部にある伊良湖岬灯台は「日本の灯台50選」にも選出されている風光明媚な灯台
 太平洋と伊勢湾・三河湾をつなぐ伊良湖水道と呼ばれる航路が岬と三重県神島の間を通り、志摩半島やその奥の山々まで眺めることができる。

 日本国の貿易黒字の6割を占める名古屋港を始め、四日市港・三河港などの国際貿易港の玄関口となっている伊良湖水道は、大型船舶だけでも1日100隻以上の往来があるのだという。そのため岬のすぐ後ろにある丘の上には伊勢湾海上交通センターが建てられており、大型船舶の航行管制を行なっている。


 岬の南側の恋路ヶ浜には海の家的な食事処が数軒立ち並んでいた。そこで名産品の大あさりを食べてみた。写真では伝わりづらいですが、あさりとは思えないデカさ。あさり汁などのあさりとは別種らしい。


 「恋路ヶ浜」はその名称からも察することができるように周辺では有名なカップルの聖地で、願いが叶うという鐘やら鍵やらがあり、カップルもいっぱいいた。
 そんなリア充たちを尻目に次なる目的地へと先を急ぎ、伊良湖近くの宮山山麓に鎮座する伊良湖神社に参拝した。


伊良湖神社

  • 祭神:栲幡千々姫たくはたちちひめ
  • 創建:848年(嘉祥元年)or 875年(貞観17年)

 高皇産霊尊の娘で、天忍穂耳命と結婚し瓊々杵命を生んだとされる栲幡千々姫命を祀る神社。
 もとは宮山山頂に鎮座しており、近世の伊良湖はこの神社を中心に70軒ほどの半漁半農を営む人々が住んでいたという。しかし、明治38年伊良湖試砲場用地拡大に伴う集落移転に際して当地に遷座された。
 伊良湖は海を挟んで伊勢国と面しているため、かつては伊勢神宮伊良湖御厨が広がっていた。そのため当社も伊勢神宮との縁が深いらしい。そのせいか社殿はここらじゃなかなかお目にかかれないほどしっかりとした神明造で、確かに境内の様子は伊勢神宮の雰囲気に似ていた。




伊良湖東大寺瓦窯跡

 伊良湖神社から少し東へ行ったところにある遺跡。
 渥美半島は古来より窯業が盛んな土地で、鎌倉時代初期の東大寺大仏殿再建の時にその瓦を当地で焼いたという伝承があった。1966年(昭和41年)に初立調整池の建設に際して遺跡が見つかり、「東大寺大佛殿瓦」「大佛殿」などの文字の入った瓦が出土した。



 上記の通り瓦窯跡の後方には豊川用水の最終地点となる初立調整池がある。半島というものは島ほどではないものの、大河が存在しないため慢性的な水不足に悩まされてきた土地が多いので、用水路の恩恵は極めて大きい。調整池の湖畔はウォーキングロードとして整備されていたので、ぐるっと自転車で回ってみた。



 調整池をあとにしてからこのまま帰路につくかどうか迷った。でもまあもう少し伊良湖を見て回ろうと思い、道の駅まで引き返した。道の駅で土産物と飲料を補填して、改めて後半戦スタート!!
 伊勢湾海上交通センターのある岡に登って伊勢湾を見下ろしてから、渥美サイクリングロードを通ってひたすら東を目指した。


 恋路ヶ浜の東側は急勾配な上り坂で、午後になってやや南東の風が出てきたことも相まっていきなりかなり苦戦を強いられた。息も絶え絶え登り切ると恋路ヶ浜伊良湖岬が一望できた。


 登り切ったところの道路脇から浜に向かって階段が伸びていたので、試しに降りてみると日出の石門と呼ばれる巨大な岩の真上に出た。


 その前には島崎藤村の詩「椰子の実」の石碑が設置されていた。この詩の誕生には少しエピソードがある。
 『遠野物語』の著者として名高い民俗学者柳田國男は、大学生時代に伊良湖を訪れ、その際、浜辺で南国から流れ着いた椰子の実を発見したという。東京に戻ってから、その話を学友であった島崎藤村にしたところ、藤村は深く感銘を受け、この「椰子の実」を詠んだ。ちなみに、山奥育ちだった藤村は海に対して特別な想いがあったと晩年に述べていたそうな。
 椰子の実が流れ着くことは実際にあるそうで、この「椰子の実」にちなんで、沖縄県石垣島からプレートを付けた椰子の実を放流するイベントも開かれているそうだ。(過去に一度だけプレート付きの椰子の実が流れ着いたことがある)


 日出の石門の上からは片浜十三里と呼ばれる遠州灘の沿岸部が一望でき、打ち寄せる太平洋の波がとても綺麗だった。石門の岩には手すりなどは施されていないので、風に煽られて足でも滑らしたら海の藻屑と消えてしまいそうだった。

↓の右端の岩から撮った写真が↑



 石門を写真に収めて再び丘の上まで駆け上がり、自転車に跨るとくねくねとしたサイクリングロードを下った。そこからはずっと浜辺沿い。どこまでも大海原で風景が変わらないのは精神的に地味につらく、海から吹きすさぶ向かい風を攻めあぐむ状態が続いた。
「風を…風を拾うんだ…!いや、避けるんだ……」
 その先、サイクリングロードはなくなり国道42号線を通ることとなった。そろそろ赤羽根港かなと道端で地図を開いてみたら、まだ半分も進んでいなかったことに絶望した。やれやれどうしたものかと落胆しながら自動販売機で飲料を買おうとしたら今時珍しい一缶80円の自販だった。天佑といっては大袈裟過ぎるが、ちょっぴり得した気分で元気を取り戻し、なんとかチェックポイントの道の駅「あかばねロコステーション」に到着した。


 ただ、道の駅に来たはいいが、お土産は既に伊良湖で買ってしまったし、これ以上荷物が増えるとつらいので、カフェっぽい店でしばし涼むことにした。とにかく冷たいものが欲しかったので、かき氷を注文するとお皿にモリモリと盛られたものが出てきた。「これほんとに一人前かよ!」と思いながらパクパク。案の定途中でキツくなってきたが、頭キーンに耐えながらなんとか完食した。


 道の駅を出てからは田原市サイクリングロードを通って再び東へと進んだ。途中、パラグライダーが2機ほど頭上を飛んでいった。今まで間近で見る機会はあまりなかったので少し感激した。


 サイクリングロードの終点に近づいたところで後ろを振り向くと、潮風ですごく白んでいた。その後、名残惜しくも大海原と別れ、普通の道路に戻りゴール地点に設定した三河田原駅へと先を急いだ。


 そして、朝7時に三河田原駅を出発してから約9時間半、午後4時半に終点三河田原駅に到着し、渥美半島一周サイクリングロードを完遂した。(完)

 

 その後、ケツの痛さに耐えながら家までのろのろと走った………。




【雑感】

  • 体力的にはケツは痛かったものの、極限状態という程ではなかった。
  • サドル以外は新しい自転車に不満は残らなかった。
  • 目的地であった伊良湖はちょっとしたバカンス気分が味わえるいいところだった。
  • 田原の名産品の一つであるメロンを食べ忘れていたことが唯一悔やまれる。
  • 実はもう少し紹介したかった歴史やら歌人やらがあったのですが、長くなる上にサイクリングが主題なので省略しました。
  • また行きたいですが、冬の太平洋沿岸はハンパなく風が強いので季節が限られるという難点も。