志摩&ちょっぴり伊勢観光

 そんなんどーだっていいから冬のせいにして旅に出ようってことで、JR全路線乗りたい放題(※新幹線・特別車を除く)になる青春18きっぷを深く考えずに購入してしまったので、とりあえず一日分消化に行って参りました!!……一ヶ月前の話ですが。まとめる時間がなかなか取れなくて(^^;



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 例のごとく寒さにガタガタ震えながら始発に飛び乗り、鈍行列車に揺られること5時間志摩半島鳥羽に着きました。念の為に確認しておきますが、「鳥羽・伏見の戦い」で有名な京都市南区及び伏見区の「鳥羽」ではありません。
 ともあれ、始発で出立したのでずっと座りっぱでしたが、長時間電車に乗ったのは久しぶりだったので疲れました。5時間もあれば東海道本線で東へ向かえば東京、西へ向かえば姫路に着くレベル。夏のサイクリングのときに伊良湖岬から水道越しに見えていた志摩半島ですが、近いようでもっそい遠いと実感。
 自分がこちらの方へ訪れたのは、できたばかりの志摩スペイン村(パルケエスパーニャ)に来たとき以来。当時はまだ物心ついていたかも怪しい年齢でした。
 そんなことを思い出しながらJR鳥羽駅近鉄に乗り換えて数駅。志摩一宮の伊雑宮いざわのみやに無事到着。


伊雑宮

 古くから皇大神宮(内宮)の遙宮とおのみやと称せられていた神社。皇大神宮別宮(宮域内に2所,宮域外に8所)の中の一つ。伊勢国以外では唯一ここのみ。といっても志摩国伊勢国から分立された令制国なので親戚みたいなもんですが。
 志摩国は国土が狭く、平地も少ないので、『延喜式』での国力ランクでは「下国」となっていますが、朝廷ににえ穀物以外の副食物で、志摩の場合は海産物)を献上する御食国みけつくににとして、やや特別な立場にある国であったようです。
 祭神の天照坐皇大御神御魂あまてらしますすめおおみかみのみたまについては、諸説あるものの、現在は天照大神御魂とされています。他にも当宮神職の磯部氏の祖神を祀った説なども。
 志摩国の一宮を称する神社は当宮以外に、鳥羽市の加布良古崎にある「伊射波いざわ神社」もあります。こちらの神社は公共交通機関だけでは行くのが難しいので、今回は訪問しませんでした。
 伊雑宮は内宮と同様に式内遷宮(20年ごとに社殿,鳥居,御垣などを造り替えて神座を遷す)を行なっているため、正殿の横にはスペースが空いています(左右交互に建て替えるシステム)。


 また、境内の南方にある田んぼでは、毎年6月に行われる御田植祭が行われ、その田楽は「磯部の御神田」として国の重要無形文化財に指定されています。




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 神社を後にして、鳥羽駅までとんぼ返りし、しばし休憩。食堂で伊勢うどんをちゅるりと平らげ、再出発。

 駅を出てから歩いて十分ほどのところにある鳥羽水族館にやってきた。




鳥羽水族館

 三重県内はもちろん、全国的にも大規模と言って差し支えないレベルの水族館。鳥羽市一の観光スポットのようです。
 館内は横に広く、A〜Lまでの12のテーマゾーンに分かれています。受付でもらったパンフには『順路のない水族館』と書かれており、周りのお客さんたちも自由きままに回っておられるようでした。
 実は当日は、巷で「クリスマスイブ」と呼ばれる日でして、一人動物園、一人花火大会を乗り越えてきた「おひとり様」上級者の私でも、若干尻込みをしてしまうほどカップルでごった返していました。それでも、せっかく来たのに後ずさりしてもいられないので、中学生カップルから老夫婦まで多様なリア充の皆さんを掻き分けて、パシャパシャと写真撮ってきました。
 写真では伝わりにくい部分も多いですが、フォトライフにうpったのを何枚か貼っときます。







ちなみに、一番印象深かったのはこの『セイウチパフォーマンスショー』。飼育員のお兄さんとお姉さんの軽快な三重弁トークで繰り広げるコント風のショーでした。のそのそと動く二頭のセイウチくんたちは思いのほか芸達者。




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 目的を果たしたので鳥羽を後にした。当初の計画では、大紀町瀧原宮(内宮別宮の一つ)に行く予定でいましたが、水族館で時間食い過ぎてしまい、瀧原宮に着く頃には真っ暗になってしまいそうなこともあり、しぶしぶ諦めました……またの機会に。
 代わりと言ってはなんですが、JP伊勢市駅からスッと寄れる距離にある外宮げくうに参拝することに。


月夜見宮

 駅から徒歩数分のところに鎮座する外宮の境外摂社。三貴神の真ん中、夜を統べる月神ツクヨミを祀る。ちなみに、内宮の別宮にも月讀宮という摂社がある(字は異なるが読みは同じく「つきよみのみや」)。
 境内のやや後方の隅には「高河原神社」という摂社があり、こちらは宮川の高河原といわれた土地の開拓の守護神を祀っているとのこと。
 月夜見尊記紀による記述が乏しく、祀っている神社は姉(アマテラス)や弟(スサノオ)に比べるとかなり少ない印象があります。全国に80社程度とも。いつ頃から伊勢で祀られていたのか不明ですが、『続日本紀』の光仁天皇(在位770-781年)の段に、伊勢の月読神の話が出てくるので、奈良時代にはすでに祀られていたことになります。



 外宮別宮の中では唯一境外にあり、月夜見宮と外宮との間には「神路通りかみじどおり」と呼ばれる一本道が伸びています。





豊受大神宮伊勢神宮・外宮)

 第21代雄略天皇の御代、天照大御神のお告げによって、丹波国から伊勢国の当地へ遷座されたと伝わる豊受大神宮。食物を司る御饌都神みけつかみトヨウケビメを祀っています。一般的には「外宮」と呼ばれ、天照大御神を祀る皇大神宮(内宮)と対になる正宮。
 宮域は鬱蒼とした森に包まれており、地図で見るとかなり広い。過去に一度来た時はなかなかの盛況ぶりで、人の波に流されながら参拝した印象でしたが、今回は黄昏時だったからか、はたまた西教の聖誕祭だったからなのか、がらりと空いていてまったり参拝できました。
 上の写真は正宮の正面に当たる「外玉垣南御殿」です。真正面には蕃塀が建っているのでやや斜めからのアングルになっています。御殿の横から内玉垣と正殿が見えますが、撮影はご遠慮くださいと書いてあったので写真はありません。ちなみに、正殿は「唯一神明造」と呼ばれる伊勢神宮正殿だけの独自様式。2013年秋に第62回式年遷宮を予定しており、正宮の向かって左側では粛々と社殿造営が行われていました。
 境内摂社には、豊受大御神荒御魂を祀る多賀宮、山田の原の守護神・大土乃御祖神を祀る土宮、風の神である級長津彦命級長戸辺命を祀る風宮があります。

↑一の鳥居付近にある勾玉池の舞台


 外宮の歴史として特記すべきことは、中世に興った「伊勢神道度会わたらい神道)」があります。古くより伊勢神宮の運営は、長官である「祭主」を大中臣氏中臣鎌足の弟から連なる氏族)が、内宮の神職荒木田氏大中臣氏と同族とされる)が、外宮の神職度会氏神武天皇東征の折に伊勢を平定した天日別命の後裔)が、それぞれ世襲で務めてきました。その内、祭主は在京の中央官なので、現地で実際に祭祀を取り仕切ったのは荒木田氏と度会氏の二つの氏族となります。
 伊勢神道は、鎌倉時代後期から南北朝にかけて外宮神官の度会氏が唱えた神道です。中心人物は度会家行(1256-1351年?)など。これは、外宮祭神の豊受大御神を根源神である天之御中主神と国常立神と同一だと考える説で、内宮に対する優位性を示す内容となっています。荒木田氏と度会氏はあまり仲が良くなかったのかも。




◇帰路
 そんなこんなで伊勢市駅まで舞い戻って、駅の売店赤福餅を買って帰路へ。いい加減鈍行列車に嫌気が差していたので、プラス500円払って「快速みえ」に乗り、名古屋までひとっ飛び。行きとは比べ物にならないぐらい快適。
 晩飯を求めて名駅をさまよっていたら、サンタやトナカイの格好をした集団がなにやら打ち合わせをしていてシュールだった。とりあえずメリークリスマス。



初詣旅行の記事は一体いつになるだろうか...