初詣の旅2013(近畿編)一日目
青春18きっぷによる新春初詣ツアー!!!二泊三日です。(あれ?新春どころかもうフツーに春じゃね?)
遅筆なのろま大将でスミマセンm(_ _;)m
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いつもどおり始発で出発。彦根駅でJRから近江鉄道なるローカル鉄道のワンマンカーにチェンジ。さらに途中でもう一回乗り換えると終点「多賀大社前駅」に到着!
駅から神社までの道筋には、ずらーっと紙垂付き縄が張り巡らしてあったので(途中、某政党のポスターの貼ってあるお宅のところのみ中断していたけど)、迷いようがなかったです。
神社が近づくにつれて土産屋や露店がちらほらと。まだ早い時間だったので準備中のところも多かった。
◆多賀大社
「お多賀さん」として全国的にも著名な神社。国産みの神・イザナギ&イザナミの二柱を祀る。中世から近世にかけては「お伊勢に参らばお多賀へ参れ」とうたわれ、参拝客で大いに賑わったという。
ご神徳は延命長寿と縁結びなど。ただ、神話をおもんみるにイザナミはカグツチを産んだ際の怪我が元で死んでしまっているし、その後、夫婦は黄泉の国で決別しているので、なんとも皮肉なご神徳な気がしなくもない。
また、鎌倉時代に俊乗坊重源という人が、当社に長寿を祈願して寿命を20年伸ばしたという伝承があり、その重源が大往生した際に座っていたと伝わる「長寿石」が境内にあります。(下の写真)
神話によれば、アマテラス,ツクヨミ,スサノオを産んだイザナギは、それぞれに高天原,夜,海の統治を任せ、自らは「多賀」に隠居したという。古事記にもそう書かれている。(←このフレーズ使ってみたかっただけですスワセン)
ここに出てくる「多賀」とは、必ずしも当地近江国の「多賀」とは限り申さず、一説には淡路国一宮・伊弉諾神宮がある「多賀」の方ではないかとも言われる(日本書紀ではこっちになっている)。
また、一昨年末に参詣した建部大社の項でも触れましたが、多賀大社はこの周辺を根城としていた古代豪族・犬上氏が祖神を祀ったものとの説もあります。
ちなみに、おみくじ引いたら「吉」でした……。
〜〜〜
大社前駅に舞い戻って、再び彦根へ。改札で切符を買う際、「ひ→こ→ね↑まで」と言ったら「ああ、ひ↓こ↑ね↓ね」と返され、アクセントを間違え内心恥ずかしかった(←自意識過剰)。
彦根駅から次なる目的地は一本道で、こちらも迷いようがない。駅前にある滋賀県最強のスーパー平和堂の横を通り、結構年季入ってる彦根市役所を過ぎると天守が見えてきた……ドキドキ
◇彦根城
国宝の天守閣を持つ名城。ここに訪れたことで4つの現存国宝天守の内3つを制覇したことになり、リーチがかかった。残り1つは、かの姫路城!
彦根城は譜代大名井伊氏の居城で、廃藩置県まで彦根藩23万石の藩庁であった。彦根藩は徳川四天王の一角・井伊直政が関ヶ原の合戦の戦功として18万石で封ぜられて以来、一貫して井伊氏の知行地であった。譜代大名は転封が多いイメージがあるので、こういうのは結構珍しいのでは!?
井伊氏といえば、幾年前に静岡県浜松市の「井伊谷」を訪れたことがあります。そこは名前の通り井伊氏の本貫地である山間の里で、井伊氏が中世約500年間に渡って治めてきた土地でした。その折、「ようこそ井の国へ」と観光案内板に書いてあった記憶があるので、元は「井」であった地名が好字二字令(713年)で「井伊」に改められたものかもしれません(「木の国→紀伊の国」など)。
図らずも井伊氏の軌跡をたどれて、ぐっとくるものがありました。
彦根城で関する有名人といえば幕末の大老・井伊直弼(1815-1860年)。今年の大河ドラマ『八重の桜』にも序盤にしっかり登場しており、桜田門外の変で殺害されるシーンもありました(出会い頭に拳銃で撃たれたのは史実のようです)。
一般的には朝廷の勅許得ず、独断的に日米修好通商条約に調印し、反対派を安政の大獄で粛清した冷徹な人物というイメージがありますが、地元では名君として尊ばれおり、城内に銅像や石碑が置かれ、むしろ初代藩主の直政より顕彰されている感じでした。
彦根城といえばもう一人、ゆるキャラ界のスーパースター「ひこにゃん」の存在を忘れちゃいけない。
ひこにゃんは、「国宝・彦根城築城400年祭」及び「井伊直弼と開国150年祭」のマスコットとして誕生した白猫をモチーフとしたゆるキャラです。なぜ白猫かというと、2代目藩主井伊直孝が白猫の手招きによって難を逃れたという伝承があるからなんだそうです。頭にかぶっている兜は「井伊の赤備え」と恐れられた井伊直政の具足兜。
さて、登城の方ですが、入場口でチケットを買い、くねくねした石垣を登り見晴らしの良い本丸へ。
ここで問題発生!実はひこにゃんの登場時間に合わせるべく、多賀大社を早めに切り上げて登城したのですが、肝心の出現場所を勘違いしており、本丸広場で待っていたら直前になって彦根城博物館の方に出現するという情報がもたらされました(同じく間違えていた家族連れさんが売店の人に聞いてた)。
急いで戻ろうにもまだ本丸見学もまだ済んでないのにゲートの外にある博物館に行くわけにもいかず(再入場不可)、万事休す。
結局、城内や博物館をゆっくり丁寧に見て回ったり、昼食をとったりして時間を潰し、次の登場時刻を待ちました……。
↑玄宮園
↑昼食。郷土の食材を使った蕎麦と牛すじ煮込みご飯(¥1,350)
天守閣ですが、内部は窓が小さくベランダ的なものはないので、正直眺望は今ひとつ。ただ、特別公開していた西の丸三重櫓の方はいい眺めでした。
↑三重櫓
〜〜〜
予期せぬポカミスで大幅に時間をロスしてしまったので、その後のスケジュールがgdgdに。
本来時間に余裕があれば、
彦根→日吉大社→(坂本ケーブル)→比叡山延暦寺→(叡山ロープウェイ&叡山ケーブル)→京都
と巡礼する予定でしたが(元々かなり無理がある)、とてもダメそうだったので山王信仰コースは、またの機会にすることにしました。
踏ん切りがついたので、もうこの際彦根からそのまま京都に行っちゃおうかなぁとも思いましたが、
「いや待て待てもう一つぐらい近江を見て回ろうよ」
と脳内会議した結果、JR沿線且つ国宝の社殿がある御上神社に参詣することに決めました。
◆御上神社
所謂“郷土富士”の一つである「近江富士」こと三上山(標高432m)の山麓に鎮座している古社。
718年(養老2年)、藤原不比等が勅命を受けて社殿を造営し、三上山の奥宮と麓の里宮の現在の形になったという。
御神体は三上山そのもので、祭神はその山に降臨したという天之御影命。天之御影命は、多度大社などに祀られている天津彦根命(天照大神の第三子)の子とされる。
境内は賑々しい雰囲気でした。三が日最終日の夕方だというのに、荘厳な楼門(重文)の前には参拝列がびゅーんと伸びていました。
前述のとおり、鎌倉時代後期の造営の本殿は国宝に指定されています。また、同じく鎌倉時代後期造営の楼門や摂社若宮神社本殿、かつての本殿を移築・改造したと言われる拝殿も重要文化財に指定されています。
駅までの帰路は、三上山の全容を眺めるために徒歩にしました。まだ一日目で元気だったので、これぐらい歩いたってどうってことないさー(←翌日死亡フラグ)。
〜〜〜
話は少しずれますが、
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そこで、前回の京都旅行では近くを通りながらも、古社を巡るのに固執するあまり寄らなかった平安神宮にどうしても寄りたくなりました。
京都駅に着く頃にはすっかり夜空が覗いていて、バスを待っている間、寒さが身に堪えました。
普通なら境内は真っ暗で静岡浅間神社の悪夢再来(参照)となってしまいますが、平安神宮はなんとライトアップあり!!
◆平安神宮
1895年(明治28年)、平安遷都1100年を記念し創建された平安神宮は、平安京最初の天皇である桓武天皇と、平安京最後の天皇である孝明天皇(昭和15年合祀)を祭神としています。
なぜ、平安神宮に寄りたかったかというと、当宮の社殿は平安京の
楼門は朝堂院の正門「応天門」です。応天門といえば、国宝『伴大納言絵詞』に描かれた応天門の変(866年)が起きているので名前は有名だと思います。古代からの名族・大伴氏はこの事件で中央政界から完全に失脚しましたね。
また、「弘法も筆の誤り」ということわざの元ネタもこの門なんです。弘法大師こと空海上人が、門の扁額(「應天門」)を書いた時に、「應」の字の点を一画打ち忘れてしまい、設置された額めがけてダーツのように筆を投げ付けて修正を加えた言われています。
外拝殿は朝堂院のメインである「大極殿」がモデルです。大極殿は平安京で最も大きい建物(国内では出雲大社,東大寺大仏殿に次いで第三位)だったと言われており、天皇の即位,大嘗祭,元日朝賀などの重要な儀式に用いられました。平安末期の1177年(治承元年)の火災以降は再興されていませんでした。
残念ながらこれらの復元された応天門と大極殿は当時8分の5のスケールであり、本来はもっと大きかったようです。しかしながら、神社としては相当大きい部類に入ることは間違いありません。ライトアップされた雰囲気も相まって、いにしえの大内裏を偲ぶには十分だったと思います。
〜〜〜
京都駅へバスでとんぼ返り。ホテルのある大阪梅田に移動して、テキトーに晩飯食って就寝しました。
【一言感想】
不如意!!(スケジュール的な意味で)
まあ、臨機応変という名の自由奔放が一人旅の醍醐味でもありますが