本宮山登山のまとめ【前編】

本宮山の主要登山ルートを制覇したので、そのまとめでも。長くなりそうなので前後編に分けます。

 本宮山東三河にある標高789mの山で、三河富士とも呼ばれる霊峰。豊川・豊橋市内の大抵の場所からその姿を眺めることができ、古代より信仰の対象となっていた。山頂付近には三河一宮砥鹿神社の奥宮が鎮座して、樹齢1000年余りの杉の原生林になっている。現在山頂一帯は豊橋中継局の電波塔がひしめき合っている(でも出力弱いからワンセグ映らないorz)。

↑砥鹿神社奥宮。社紋は亀甲に卜。
 山頂までスカイラインも通っているが、登山道の整備も行き届いているのでハイキングコースとしての人気はかなり高い(おそらく東三河一)。休日ともなると老若男女のハイカーがぞろぞろと列を成す勢いで登ってくる。一般コースなら特に難所もないので、そこそこ距離はあるが並の体力さえ持っていれば登頂可能。山麓には天然温泉本宮の湯があり、ハイキング後の一服に最適。
 北側にはくらがり渓谷というキャンプ場がある。小学校の頃に遠足で訪れたことがあったが、10年後に再度来ることになろうとは思いもしなかった。
 話は前後するが、古代の本宮山の話を少々。本宮山には本茂山、穂の山、砥鹿山などの古称があった。砥鹿神社所蔵の『三河国一宮砥鹿大菩薩御縁起』*1によると、

 大宝年間(701-704年)、文武天皇が病気にかかり、夢のお告げで教示された煙巌山(現鳳来寺山)に住む勝岳仙人*2を迎えるため、勅使として草鹿砥公宣卿*3が遣わされた。下向中、本宮山中で、公宣卿は道に迷っていると老翁が現れて道を教え、童子に案内をさせた。道中鬼に遭うが童子は宝棒で打ち払い、ほどなく煙巌山にたどり着く事ができた。そして勝岳仙人を訪ね、病気平癒の祈願を行って欲しい旨を懇願した。仙人はこれを聞き、上京して祈祷を行ったところ、天皇の病気はたちどころに癒えた。
 後に公宣卿は、天皇に山中で遭った不思議な老翁の話をし、再び本宮山に赴き老翁と再会を果たす。すると老翁は、自分はこの山に二千余年も住む神であり、宮居を建て、人々を救いたいと告げた。公宣卿が、神の名を尋ねると、老翁は

  知るやいかに 吾が名を問はば ちはやぶる 神の初めの 神とこそ言はめ
 (分かるだろうか、私の名を問うのなら、神代の昔の初めの神で  ある、と言おう)
と和歌を詠み、衣を川に流して消えてしまった。公宣卿は本宮山の東南の、清水のほとりで衣を拾い上げ、その近くで丁重におまつり申し上げたという。

とある。
 砥鹿神社の祭神は大己貴命(大国主命)だが、元は本宮山の山の神を祀ったものであったようだ。ところで、中央神話において神代の初めの神と言えば、天之御中主神であるが、関係はないのだろうか。

↑草鹿砥公宣卿と神使の鹿の像
 本宮山の山頂近くには国見岩という巨石があり、大己貴命がその岩に乗って国見し、穂の国を創造したと伝えられている。大己貴命は本宮山の霊気を大変気に入り、長い間滞在したことから「止所(とが)」が転じて「砥鹿」になったとも言われている。

 また、本宮山には、豊橋市にある石巻山(標高358m)と関係する説話も複数残されている。『山の背くらべ』という昔話では、本宮山と石巻山の神が背くらべをするために、二つの山に樋を掛けて水を流したところ、石巻山の方に水が流れこみ本宮山が勝ったという。その後、石巻山に登るときは小石を持って行くと、楽に登ることができると言われるようになった。この昔話は全国各地にあるお話のようだ。他にも、石巻山にはダイダラボッチの足跡という侵食した岩があり、ダイダラボッチ石巻山と本宮山に足を掛けておしっこをしてできたのが豊川だと言う話もある。本宮山側には山姥の足跡として言い伝えられている。また、二つの山に住む天狗が力比べをしたという説話も聞いたことがある。
 本宮山の砥鹿神社も石巻山の石巻神社もともに、大己貴命を祭神としていることからも、かつて何か繋がりを持っていたのかもしれない。

 とまぁ、私が知っている本宮山の話はこれぐらいなもので、要は大昔から今に至るまで崇め親しまれてきたお山さんです。そういえば、遠江一宮の小国神社の奥宮があるのも本宮山という山。祭神も同じなので関係ありそうな気もしないでもない。


↓以下適当に本宮山の写真↓




*1:http://www.togajinja.or.jp/daibosatueng.htm

*2:利修仙人のこと。鳳凰に乗り笙(しょう)を吹きながら上洛したことから笙楽仙人と呼ばれていた。それがのちに勝岳仙人と当てられた。

*3:砥鹿神社の社家である草鹿砥氏の祖とされる。